ちーちゃんの誕生とお父ちゃん

(1日目) ちーちゃんの誕生 これぞ団塊の世代なり!

ちいちゃんの日誌が始めるよ。

さっそく生まれた時のことを書きます。

1947年5月早朝新宿の日赤病院で三男坊として誕生したそうです。

ただ世の中への登場の仕方が異常だったようです。

医者を待っている間に病院の待合室のベンチで産まれてしまった模様です。

そこからちーちゃんの人生が始まりました。

末っ子コメント

息子からの提案に乗ってくれ、親父のブログが始まった。

毎日の何気ないニュースの感想とかでいいよと伝えたのに、ぼくの孫への思いを伝えたせいか、酒を呑んでるところに電話したせいか、自伝にするみたいだ。

新宿生まれってことも知らなかったし、待合室で生まれたってことも知らなかったし、おばあちゃんなぜギリギリまで我慢してたのかって思うが、三男坊だし、親父はお姉さんもいるから子供としては4番目だし、おばあちゃんは出産に慣れっこだったのだろうな。

何はともあれちーちゃんが生まれた!このおかげでぼくも生まれたし、この先の可愛いお孫ちゃんまで命が繋がる予定。

なんとも喜ばしいスタートではないか。

 

(2日目) ちーちゃんとペニシリン これぞ戦後の生まれなり!

さて、ちーちゃんの危機はこれからなんです。

ちーちゃんが生まれた世の中は当時戦後不況の真っ只中。

そのため、赤ん坊だったちーちゃんは栄養失調になり、あるとき高熱にうなされ鉄道病院へと運ばれた。

鉄道病院の軍医あがりの先生はうなされているちーちゃんをみて、左足の膝から下の切断しか生かす道はないとの診断を下した。

幼いちーちゃんの足がなくなってしまうことを不憫に思ったお父ちゃんとお母ちゃん(ちーちゃんの父ちゃん、母ちゃん)はなんとか足を切らずに治す方法を探した。その結果、日赤病院ではアメリカから高額ではあるが新しい薬があることを発見した。

その薬があのペニシリン!

なんとかお金を工面して当時高額だったペニシリンを使って治療し、無事に左足を切らずに治ったそうです。

両親には感謝してもしきれない思いです。

次はそんな両親のことを書いてみようかと思います。

末っ子コメント

ぺぺぺペニシリン!南方先生時代の薬かと思っていたのに、親父もそれで助かっていたなんて、知らなんだ。。

すごい薬ですペニシリン!そして、じいちゃんとばあちゃんの良さも出ました。

6人の子供たちを分け隔てなく当時の状況下で大学まで行かせ、大人になっても息子と娘を可愛がっていたじいちゃん、ばあちゃん。子供ながらに身内びいきが過ぎる家だなと思ってたけど、愛情たっぷり6人も子供を育てて尊敬。

めちゃくちゃ可愛い時期の赤ちゃんに何かあると親はとても胸が苦しい。親父の足を切断しなければいけないと言われた時のショックは相当なものだっただろう。

そんな危機が親父にあったなんて、先祖代々続く命を次の世代に繋ぐのは相当大変だ。

(3日目) ちーちゃんのお父ちゃん これが戦前の漢なり!

ちーちゃんのお父ちゃん、お母ちゃんはちーちゃんを34歳と30歳の時に産んだ。

ちーちゃんの下にはあと2人弟がいるので、8人の大家族だ。

お父ちゃんは、いつも呑んで帰ってくるので子供たちはいつも帰ってくる頃には寝ていた。

お父ちゃんは広島出身で、小さい頃から悪童だった。高校時代は学校紛争のリーダーをやり、退学寸前まで行ったが、恩師が助けてくれて、退学を免れた。その結果、帝大に入学。

帝大でも仲間とともに大学紛争の先頭に立ち、警察の世話になったこともあるそうだ。

その際には、お父ちゃんのお父ちゃん(ちーちゃんのおじいちゃん)が広島から上京し、留置所から引き取りに来てくれたそうだ。

今日はここまで。

末っ子コメント

ぼくの大好きなじいちゃんが登場。

大学時代、2人でランチを食べたり思い出深いじいちゃん。

上品な感じがなく、気さくで豪快なじいちゃんで、勝手にガテン系の仕事だと思い込んでいた。

いつも実家に電話してくる際に、先に死んだばあちゃんのモノマネをして声色を変えて電話してきたファンキーじいちゃん。

握力がめちゃくちゃ強く、孫の手をこっちが痛いというまでぎゅっと握ってきたじいちゃん。

90歳くらいの時にうちの家族をうなぎ屋に連れて行ってくれた時、流石に半分くらい残すのかなと期待していたが一気に平げたじいちゃん。

いろんな思い出が溢れてくる。続きが楽しみだ。

(4日目) ちーちゃんのお父ちゃん 悪童から役人へ!

<ちーちゃんのお父ちゃんの話続き>

その後、暴れん坊が改心して、国家文官試験、今で言う国家公務員試験に合格。

本人曰く、留置所に引き受けにきたお父ちゃん(ちーちゃんのおじいちゃん)に「世の中は役人が一番強い。自分は呉服屋として成功しているが、金があるだけではダメだ。いつも頭を下げているだけだから。息子よ、役人になってくれ。」とお願いされたらしい。

そのため、新聞記者になる夢を諦め、3ヶ月は徹夜で受験勉強し、国家公務員試験に一発合格!かつ、危なかった卒業単位も取得し、無事に社会に出ることができた。この3ヶ月が生まれて一番勉強したそうだ。

今日はここまで。

末っ子コメント

じいちゃんのこの時の猛勉強ばなしはよく聞かされたなあ。

時間がないから国家公務員試験の過去問を先輩から入手して、問題傾向をまず把握。確か5年分以上解いたらどこら辺が出そうかわかってきて、見事にその問題が出て合格!という感じだったかな。

高校の時に退学寸前まで行った悪童が帝大に入るのもなかなかですが、猛勉強3ヶ月でキャリア官僚もなかなかですな。

火事場のくそ力が働くお家柄なんだろうな。そして、運がめちゃくちゃいい。

コツコツと積み上げる血筋では決してないことが見えてきた。明日も楽しみだ。

(5日目)ちーちゃんのお父ちゃん その兄弟構成なり!

ちーちゃんのお父ちゃんには弟、姉、妹の3人がおり4人兄弟だったそうだ。

姉はしっかり者だったようで、ちーちゃんのお父ちゃんは尊敬してたようです。

また妹の事もすごく可愛がっており、ちーちゃんのお父ちゃんにそっくりな性格豪放磊落で賢かったとのこと。

それでいて、何とか小町と近所で評判の美人だったので、お父ちゃんは姉と妹2人をとても可愛がっていたそうだ。

一方、弟の事は「あいつは馬鹿なので勉強ばかりしやがった」といつもそんな表現で語っていた。

「勉強ばかりしている奴は馬鹿だ」そんなお父ちゃんの言葉を信じて、ちーちゃんはあまり勉強に身が入らなかった。

でも、お父ちゃんの弟も帝大卒の役人だ。

つまり、ちーちゃんはお父ちゃんの意見を素直に聞き入れてしまったが、大きく間違ったようです。

 

末っ子のコメント

ぼくのおじいちゃんの兄弟構成について初めて知った。

おじいちゃんが真面目一筋の弟さんのことを馬鹿にしていたのは覚えているが、どの人がお姉さんで妹なのか定かでない。

今度写真でも見てみよう。おじいちゃんの顔から美人な妹がいると言う事は想像がつかないがきっとほんとなんだろう。

ぼくからすると大伯母、大叔父、大叔母になるんだろうが、その人たちはどういう人生を歩んだのかどんどん掘り下げて行きたくなる話だ。ファミリーヒストリーは興味深い。

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